cocoron1025のブログ

心のリセット

意地になる

塾の帰りを待つお母さんたち。わたしもその1人だ。向こうのお母さんが読む本は「子どもの「いや」に困ったとき読む本」という題名が見える。昨日も話に上がったが、誰もがみんな子育てに苦戦する時期がある。人によっては、ずっとかもしれない。

 

わたしがこんななので、あまり、娘で苦労した記憶がない。いつも優しく穏やかな娘。赤ちゃんの時ですら、バスや電車で、大泣きしたり、夜中じゅう私の手がかかるとかもなく、全般的に何か大変だったことはない。むしろ、アレルギーもちだから、毎週のように耳鼻科に行ってたけど、そんなもんだ。外に行くと、ご老人にとにかく話しかけられる。話しかけられるのが苦手なわたしだったが、何度も話しかけられるうに、なんだか楽しくなっちゃって、仲良くなっちゃったりした。

今でも、たまに怒ることもあるけど、いつも癒される。いつも素直で穏やか。公園の遊具が今だに大好きで、うちの子は、精神年齢が低いのかな?と思いきや、ママのことよく見てて、たまに励ましてくれる。お手伝いは、積極的にしてくれる。むしろ、わたしより楽しんで、お掃除もお料理もやってくれる。どっちが親だかわからなくなる。いつも、支えてくれる。

 

怒るような状況は、大抵わたしに、時間と心の余裕がないとき。彼女のペースで行動をさせてあげられなくなるから。例えば、でかける時間を逆算すると、もう時間がなくて、彼女を急かさなくてはいけない。とか、単純に、わたしの問題である。そういう時に、怒ってしまった日は、自分も苦しい。あーやっちゃった。わたしったら、ダメだなぁ。余裕がなかった。と、悲しくなる。

彼女も自分も、結果やな気分になることは、やらない。そのために、彼女のペースやタイミングをじっと待つ。これは、小学校受験から学んだこと。

まだ6歳だった彼女に、あの膨大な勉強量。しかも、うちは、受験をする気ではまったくなかったから、お受験がある半年前ぐらいに、することを決めた。みんな、3歳とか4歳とか早い子でやりはじめているのに、半年で難関校がどこまでうかるのか。不安ではなく、もはや、チャレンジでしかなかった。

要領はいいけど、やっぱりできない問題が出てくる。得意不得意が出てくる。お勉強をまったくしてこなかった自分としては、どうしてあげたらいいのやら。わからず、塾に行くと、常にお隣のこと比べられる環境になるため、そのうち周りが気になる。それは、ネガティブに陥りがちだけど、ポジティブにも働いた。それらの中から浮かび上がったのは、周りの子のいいところだけでなく、自分の子の個性だった。

あー。うちの子、こんな事優れてるんだ。なら、ここを武器にお受験望もう。これをさらに伸ばすには、こんなことやってみよう。とか。この項目、いまはできなくても、1ヶ月続けるとできるようになって、3ヶ月続けると完璧にできるようになる。とか。目先だけじゃなくて、長い目で見て、一生懸命向き合うと、見えてくることが、だんだんポジティブにかわっていった。

この子のペースとタイミングがある。それをわたし自身の尺度にあわせて判断しちゃいけないんだ。て、思った。そしたら、自分の気持ちも楽になったし、待つことが愛おしく思えるようになった。

 

ただ、超えられない壁もある。それは、家柄。世の中の上澄みの頂点の本当に頂点にいる家柄には、なにをもってしても太刀打ちできない。普段の生活では、関わることすらないから、特に支障はないけど、小学校受験では、そうはいかない。関わらざるお得ないのが現実。

羨ましい。とは、思っても、どう転んでも、そこは、変えられないから、ここはもう、こんな世界もあるのだ。と、優雅な世界を見させてもらう。ということに、徹するしかない。

そんなことを思うと、自分は子どものころ気がついてなかったが、近しい世界にいたのかもしれない。わたしの中では、子どもの頃、自分がおかれていた状況は、母親と自分の世界がほとんどだった。苦しい時間。早く大人になりたい。と、思っていた。稼げれば、わたしは、この世界から自由になれる。そればかり考えていた。

でも、大きくなって、思い出すと、意外と裕福だったことを知る。父の会社が倒産してからは、大変だったし、父の死で初めてわかった借金は、あったものの。子ども時代は、至って恵まれた環境だった。わたしに、何が残ったのか、わからないけど、モノという意味では、本物を手に取り使ってきた記憶は何故かある。だからこそ、いまブランド品はもっていないのかもしれない。叔母からもらった、ブランド品は、たしかにあるけども、自分で買うことは、決してない。まだ自分は、持てるレベルに達していない。と、思ってるのもあるのかもしれない。そこは、よくわからないけど、安いとか高いとかではなく、好きと思えるか、自分に似合うか。のほうが大切に思っているからかもしれない。結果、まだブランド品は身につけられないのかも。どちらにしても、自分が輝いてるか。が骨格にあってして、まとうもの達なので、今現時点での自分がそもそもどうなのか。で言うと、今はまだまだどうにようにもいけてない。のが事実である。不釣り合いや違和感が生じている状況とは、何かが違うからであって、その状態は、自分にとって、気持ち悪いのである。いまは、わたし自身の問題だ。

 

とめどなく書いたけど、いけてない理由のひとつとして、わたしは、いま意地になってる。

本来、意地とはピュアな心の現れなはずなのに、片意地になっている。意地とは、自分の行動を左右するほどの強さがある。それがネガティブになると、意地悪、片意地になるらしい。そう、わたしはいまそれになってる。そんなこと、当たり前であるが、よくない。

 

いけてない自分は、まずここをクリアにすること。時間がかかるけど、少しでいい。片意地に、支配されない意思を持つ。を、まずクリアしよう。