自分はまだまだであること
最も高い意識レベルは「悟り」らしい。わかるわー。なんだか、わかる気がする。
年末に、最も低い意識レベルになってるはず。と、いうことは、転換すれば、最も高い意識レベルになるチャンスでもある。最もでなくとも、手前でも嬉しいく、なんだか、よくわからないのだけど、欲はない。
最近、達観してきたね。て、なぜか言われた。まったく、そんなことはなく、まだまだこれからなのです。
子どもの頃から、ある一定の恐怖なのか緊張感なのか、プレッシャーなのか、いやプレッシャーとかはまったく感じたことはないのだけど、そういう感覚がある一定値を達すると、心がどっしりするというか、なぜかずっしりと腰を吸えるというか。そういう状態になる自分がいる。
Tさんには、甘い。と何度も言われたけど、お前はいつも何とでもなる。と思ってる。と、言われたけど。
それは、そうかもしれない、ある意味甘いのかもだけど、彼との経験の種類の違いな気がする。
母親の厳しさは、徹底していたし、許されることなど謝ってもまずない。自分にも逃げ道や許される。ことがあるんだ、て、知ったのは、大人になってからだ。
部活は、全てが勝負の世界。わたしは、常に市大会で1位を取り続けなければいけなかったし、二年生の中盤から最後まで、取り続けた、にも関わらず、夢のインターハイを逃して、関東大会で敗退。わたしのテニス人生はそこで終わった。
小学校の記憶はほとんどなく、六年生の時の地獄のような受験勉強。にも関わらず、志望校には受からず公立へ。そのおかげなのか、中学の内容が一年生のときはよくわかっていて、勉強しなくても、無駄にテストができた中学、高校。
よくわからないけど、人前に出ることも、人との付き合いも苦手なのに、自分がやることで、人前に出ることが多かった。運動でいうと、数知られず、球技から陸上競技まで、水泳以外はほとんど、選手に選ばれて、大会にでた。それなりに、選手宣誓もやってきた。
読書感想文や書道の賞もたくさんもらった。絵については、特段いろんなところで、展示もされてきた。
よくわからないけど、なに基準で甘いんだろう。と、いう話な気がする。
誰もが甘く厳しい。でも、その基準はきっと自分基準。良い悪いではなく、Tさんの場合は、人にとことん厳しい。自分基準で厳しい。
何が言いたいのかと言うと、甘いとか厳しいとか、人が誰かに判断するものではないのかも、自分が自分に対して判断すれば、それでいい。気がした。
が、すとん。て、心に落ちて、書き留めた。
判断を横に置く、相手の気持ちや価値観をよみとる。歩み寄れる共通点があれば、最高のパートナーにもなりうる。
だいたい人は、見かけに出る。占い師じゃなくても、わかるもの。心理的に、人は、着用したものに合わせた行動をとるようになる。と言われているらしい。と、いう心理学も含め。
眠いからねるわぁ。紙で言えば、ミミズ文字になりそうなので、完結したようなしないような話で終了。
今日も楽しかった。また明日。
おやすみなさいませ。